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好きか嫌いかが結局は重大分岐点

 仕事を率先してやりたいという人間は、捜してもあまりいないでしょう。
 仮に、白ら手を挙げてきた人材がいたとしても、かえって質的に問題があったりします。

 説得や指導によって、仕事に対する意欲を引き出し、入社させ戦力にすることができなければ、人材の質の問題からは永久に解放されないでしょう。

「やる気を引き出すことが仕事」という認識がない長ほど、採用や部下指導が苦手なのではないでしょうか。

 長がどれだけ頑張っても、人材が元から抱えている「労働意欲」を頼りにするだけなら、けっしてうまくいかないものなのです。

 誰もやりたがらないものを、やりたいようにもっていくことが採用であり育成だとは言えないでしょうか?

生産性を所属員固有の「やる気」に頼るのは危険な状態

 仕事をしている中で、精神面の浮き沈みは毎日起きるわけです。
 いくら意欲のある人間でも、その気持ちを継続させることは至難のワザです。
 いくら資質に優れた人材でも、危機的状況に陥ることがないとはいえません。

 生産性を所属員固有の「やる気」に頼っている経営は、非常に危険な状態といえます。

 「やる気」というのは、なにも所属員の固有の背景から起因するものだけではないのです。

 組織の中というのは、人間の欲のるつぼであり、そこには人生の縮図があります。

 さまざまな人間心理の特性を活用できてこそ、集団性やリーダーの存在価値もあります。
 その活用度合いが、生産性の“差”になって現れるわけです。

 同じ制度でやっていても、わずかの間にも極端な違いが出るのが、集団心理のエネルギーであり、怖さでもあります。

 会社の制度や所属員属性、市場性や歴史によって、マネジメントの中身は違って当然です。

 長(リーダー)の存在は、所属員にとって
 「職場環境そのもの」であり「労働条件そのもの」です。

 組織や会社の分析よりも、自分自身の分析に力を入れた方が、真相がはっきりするのかもしれません。

好きか嫌いかそれが問題だ

 私は、人間が行動を選択する理由は、大きく3つに分けられると考えます。

  1. 正しいか間違っているか
  2. 損か得か
  3. 好きか嫌いか

 人間が意識的に行動を決めるときには、必ず3つのうちのどれか、または2つ・3つをあわせた理由になっているはずです。

 人間の「やる気」にも大きな関わり合いをもっています。

 1の場合、倫理観や知的レベルが高いでしょうし、人間として理想的な行動でしょう。
 しかし、現実はそうはいかないわけです。
「間違っている」と分かっていても、「損か得か」や「好きか嫌いか」を優先して決めることもあるわけです。

 もちろん、それ以外に人間の行動は、潜在意識や本能が支配している面もありますから、無意識のうちに選択もします。

 日常の細かな動きは、潜在意識や本能が大半を決めているでしょう。

 意識的な範囲とするならば、3の「好きか嫌いか」に勝る力はないでしょう。

 なんだかんだ理由を付けたとしても、人間、「好きか嫌いか」で選んでいることが多いわけです。

 まして、潜在意識や生理的分野に直結していますから、自分の意識では制御が利かなくなることさえあります。

 人間はだれしも、自分の行動を正当化します。

 特に、人間の行動を分析することが好きな、理屈っぽい人間(私はその代表)ほど、自分の行動に対し、カッコイイ理由をつけたがります。

 実は単純な動機で行ったことでも、
「なぜあの時、そういう行動を取ったのか」などという「あと付け理論」もうまいわけです。

 本人が何で成功したかをよく分かってないのでは示しが付かないから、後から、それらしい理由を付けている場合も多いのです。

 それを繰り返していると自分は、いつも知的に行動を選択しているかのように、錯覚してしまうのです。  組織内で偉くなったり、立場の重さが加わってくると、その錯覚にターボがかかります。

好き嫌いで決めていると認めれば納得する

 たまたま、「好きな仕事」と「生産性」が結びついていればその人はラッキーです。
 天職でしょう。

 しかし、「生産性を上げるためには嫌いな仕事をしなければならない」という局面が、人間一番難しいわけです。

 真面目に仕事をしているようでも、「生産性の上がらない好きな仕事」に没頭して、頑張っているつもりになっている人はゴロゴロいるでしょう。

「組織の属性とリーダーの個性によって、効果的な経営のやり方はさまざまです」という大義名分を元に、「自分の好みの経営」にはまっていることが、生産性が上がらないリーダーの特徴でしょう。

 認めればいいのだと思います。
「好き嫌いで決めている」と。

 物事に成功するということは、単なる「好きで始めたこと」が、結果としてうまくいったという場合が、圧倒的に多いと思いませんか。

 「好き」ということが背景にあるから、動きが早いし、こだわるし、数が打てるし、長続きするのです。多少失敗しても気にしないわけです。

 そのエネルギーの大きさを認識しないで、技術論を真似したところで、うまくいかないのは当然の結果といえます。

 今の職が嫌いな場合、最低でも「その職を好きになるためには、どうしたらいいか」という探究心がない限り、さっさと転職を考えた方がいいでしょう。

ちょっとした気付きが人を変える

 私は生保時代、機関長職が苦痛でした。

 毎月、毎月締め切りに追われ、わがままな職員を相手に、ルーティンワークの連続が、どうにもこうにも、苦痛続きで、耐えられない心境にありました。

 しかし、村上氏の著述を読むにあたり、気付くことが多々有りました。

 私がつらかったのは、機関長職そのものではなく、「人の引いたレールの上を歩く」という行為だったのです。

 そのことを発見してから、機関長という仕事で、苦痛が和らぎました。

 自分の企画でモノが創造できる仕事としてとらえたら、あんなに面白い仕事はありません。

 資金の心配のいらない経営者としての予備トレーニング場だと感じてから、どうにも熱が入ってきました。

部下も好きか嫌いか

 もちろん人によって差はあります。

 もし自分の機関に、「損か得か」で判断する計算高い職員が多い、と思ったら大きな間違いをしています。

 それは、好きなものの範疇での損得であって、嫌いなものなら、最初から損得計算の対象に入れないのが、多くのセオリーです。

 なぜならば、計算高いといわれる職員は、「目先の得」に興味があるのであって、「目先の損」を取って「将来の得」を取ることにはあまり興味を示しません。

 長期的な計算をしないということは、まず直感的な「好きか嫌いか」を優先して判断しているということに他ありません。

人間の洞察力を深め人間を良く理解する

 人間を良く理解することが指導力アップの近道なのは論を待ちません。

 そのために人に対する洞察力を高める努力を続けなくてはいけません。

 お勧めする方法がありますが、それは違う機会で披露いたしましょう。

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