茨城県産の矢竹を使った竹矢
地元産の矢竹を用いた矢作りは、明治の大政奉還直後から始められました。竹矢は、節目の模様、矢の形(箭形)、色、艶、及び矢が弓から放たれたときの快音(弦音)と矢の飛び方が速いのが人気です。強度と弾力があるので折れにくく、さらに、竹に歪みがなく真っすぐに形が整った美しさも兼ね備えています。竹矢に魅了されている弓道愛好家もたくさんいます。
明治維新後から始まった石岡市内の竹矢作り
石岡市の竹矢づくりは、明治維新に禄を離れ旧八郷町に居を構えた笠間藩士、小池半之丞義高の子孫で、義高氏の子、義行氏が、糧を補うために始めたもので、義行氏が以前、笠間藩の江戸詰め家老の時代に徳川公の弓矢職人、大森政長氏と知り合い、大森政長氏を旧八郷町に呼んで数年間教示を受けたのが始まりでした。元々は、義高氏は竹矢作りをする前に、石岡市(旧八郷町)で剣道や子供に読み書きを教えていたそうです。その子孫が、今回取材させていただいた小池さんです。小池和義氏が5代目で息子の小池豪氏は6代目です。
【写真:5代目の小池 和義氏】
地元茨城県産の矢竹
矢師(矢をつくる職人)の小池和義氏のところでは、県内の笠間市周辺の山・常陸太田市周辺の山・筑波山周辺に行き、矢竹を1年間竹矢を作る分を切りに行きます。矢竹とは、その名の通り矢の材料となることから付けられた細い竹です。
【写真:6代目の小池 豪氏】
矢竹を切りに行く時期は10月から12月にかけて矢竹を切りに行きます。毎年決まったエリアにきその年によって、生えている竹の本数が違うので実際に見に行かなければわかりません。同じエリアだと竹の節の間隔が同じものが多いので、同じエリアで質の良い竹を数多く取るのがベストです。切った竹は皮を剥いてから、来年の4月頃まで外で乾燥させ、それから竹矢作りに入ります。
竹切り後の皮むきの作業動画
全国でも少ない矢師の小池 和義氏
『学生時代から父親の竹矢作りを手伝っていました。当時は、伝統工芸の竹矢作りの跡を継ぐことをあまり意識していませんでしたが、子供の頃から親の背中を見て育ったので20歳の頃に本格的に始めました。座右の銘は誠心誠意です。製品に対しては自分の身を削るつもりで挑んでいます。材料で言い訳したくないので、責任を持って納品させていただいています。また、息子の豪も竹矢作り10年になり、全行程をできるようになりました。伝統工芸を後世に残すことができ、ホッとしています。』
1日半から2日ほどかけて杉をじっくり粉状にしていきます。機械なら、もっと早くしかも大量に粉にできますが、じっくり臼でつかないと杉の葉が熱をもってせっかくの香りがとんでしまいます。水車のスピードで臼で搗くから杉の葉の香りが活きてきます。
竹矢作りの工程
ひとつひとつの工程が息の抜けない非常に神経を使う作業です。
竹矢作りには以下の工程があります。
竹矢作りの全工程【写真:竹矢作りに必要な道具類】
竹矢作りのもっとも大事な工程の荒矯
この中でも、『荒矯』は特に大事な工程になります。炭火の釜でむらなく熱を加え、矯木で引き伸ばし真っ直ぐにする工程です。
荒矯の作業は、朝の午前5時半から窯作りから始まり、作業自体は火が強くなる午前8時頃から始まります。製造する本数によって炭の太さや大きさを変えて、温度を調整しています。この荒矯をしっかりやらなければ、工程すべてに影響されてしまうほど大事な作業になります。
炭火の釜でむらなく熱を加え矯木で引き伸ばし真っ直ぐにする荒矯の動画
有限会社弓屋の概要
項目 | 内容 |
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会社名 | 有限会社 弓屋 |
連絡先 | TEL:0299-42-3376 |
所在地 | 石岡市小幡830-3 |
代表者 | 小池 和義 |
銘 | 義政 |