菅野哲正(かんののりまさ)プロフィールのもう少し詳細
「構想力と実行力」を身に付けた歩み ~新石岡へ~
なかなか激しかった人生だと振返ります。そんな自分ですが、なんとか世のため人のため、まちのために頑張りたいと念じております。
以下簡単ではありますが、今までの足取り・あゆみを掲載します。
(石岡一高で職業講師をさせていただいた時の生徒感想)
1.現在と直近
独立してから20年を経過し、今では、業務にはかなり自信を深めました。現在のメイン業務は、人マネジメントの支援や労働環境整備、業務整備の支援などです。働き方改革でそれなりに忙しくさせていただいていますが、具体的には以下の業務が多くなっています。
- 日常の労務管理顧問として、社会保険等の手続や給与計算のアドバイスする
- ISO構築や運用を支援して業務改善・品質向上に携わる
- 就業規則や賃金規程、その他社内規程等の制定・改定に携わる
- 労働基準監督署からの是正指摘などに対して対策を支援する
- 幹部や一般従業員の教育を支援する
労働問題は弁護士とタッグを組んで解決に当たります。
茨城県社会保険労務士会では、2021年~2022年度まで総務委員長を拝命し、30を越す規程類の制定・改定を主導しました。これも青年会議所(JC)時代の経験、そして社内規程類に多大に応援させていただいたことの賜物です
35才で独立開業
独立してからは、これまた辛い人生でした。自分の営業力を過信していました。やはり大企業のバックボーンがあったのと、商品を売っていた幸せさに気付きました。独立後は商品そのものが貧弱であった事実が大きかったと反省しています。今でこそ業務をかなりのスピードと正確さでこなせ、問題解決を導けますが、当時は力量など無かったのです。
34才は浪人生活でひたすら勉強
独立を志向した自分は居住に石岡市を選びます。地元のいわき市か東京という選択もあったのですが、物価の問題や、地元いわきにも東京にも苦もなく移動でき、そして妻を尊重して石岡市を選択しました。妻の親が会社引退後に八郷に住んでおり、母親をサラリーマン時代最後の年に亡くしていたこともあって、父親の近くを選びたいという意思を尊重しました。
そして浪人生活を送り、4ヶ月の猛勉強の結果、CFP合格、社会保険労務士合格をしました。石岡では早や20年が経過しました。
三井生命保険時代(22才~34才)
三井生命は1990年4月の入社でしたが、4~6月までの入社初期訓練を経て、会社生活の最初の配属地・秋田に配属されました。続いての配属地は土浦支社です。土浦では副所長として営業所を4場所回り、軌道に乗ると次の店という感じで、結構つらい時代でしたが、ここで営業のノウハウを学ばせていただきました。
実は土浦時代に妻と出会っており、人生において非常に重要な時期でした。その後、所長前最後の実地訓練として柏支社に副所長として赴任し半年在任しました。
27才で初陣の営業所長へ
そして27才にして営業所長を拝命しました。赴任地は栃木県宇都宮市南部の石橋町でした。
とにかく仕事をした4年間でした。朝は8時前に会社に入り、会社を出るのが夜中の0時か1時、土日もなし、体力的にも充実していたこともあって猛烈に働きました。ここでの試行錯誤が、その後に大いに役立ったものです。
32才で神戸の中心地・三ノ宮へ
32才時に神戸の中心地・三ノ宮営業所長を拝命しました。当時の神戸は人口130万人であり、三井銀行の方と一緒に仕事をしたりと、仕事は面白くやりがいがありました。2000年~2002年のデジタルやインターネット黎明期でもあり、とにかく楽しいことも多かったです。
しかしサラリーマンに向かない性格だったのでしょう。意を決して退社し独立を目指すことになりました。
学生時代(18才まで)
昭和42年10月に福島県いわき市で生まれ、高校まで育ちました。
福島県立磐城高校、この地でいう土浦一高や水戸一高のような進学校ですが、磐城高校に進み、野球に没頭した高校生活を送りました。高校時代の野球部の練習はとても厳しく、今の土台となっています。
野球を終えてから猛勉強に入り、現役で国立の茨城大学人文学部社会科学科に進みました。
大学時代は、かなり本気でモダンバレエに打ち込みました。モダンバレエは創作舞踊なのですが、自分は芸術的な素養は無く、能力の無さを痛感もしました。
しかし後に、歌って踊れるセールスマンを作る下地となったものです。
(大学時代のダンスの写真ですが、ひときわ高く飛んでいるのが自分です。)
政治を身近なものに取り戻しましょう
市民・県民・国民は政治から遠ざかってしまいました。それは「政治は遠い世界で行われているもの。」という意識からではないでしょうか。否、政治は身近であり、自分たちがまちを変える必要があるのです。意思決定への参画の遠さを取り戻す必要があります。
石岡市の衰退を黙って見ていていいのでしょうか。石岡の魅力を再確認して誇りを取り戻し、そして魅力をPRして多くの人々に石岡に来てもらえるような工夫が必要です。
偉大な常識をもって、行政のチェッカー、監視役を果たすことが市民の代表たる議員なのだろうと思います。
ボランティア・スタッフをお願いします
菅野哲正後援会では活動を広めるためのボランティア・スタッフを求めています。
志の高い貴方、貴女、一緒に汗をながしていただけますよう伏してお願いします。