なぜ中国・武漢は「新型コロナの発生地」になったのか?自然からの警告か?

2020年4月5日

なぜ中国・武漢は「新型コロナの発生地」になったのか?自然からの警告か?

新型コロナウイルスはどのように発生してしまったのか

 猛威を奮う新型コロナウイルスですが、あまりにも大きな被害を全世界に及ぼしています。経済の停滞は、いずれ資金的な面で弱い人を追い詰めていくだろうと予想されておりますが、ヒシヒシとその足音を聞くようです。

 あまりに唐突に出現した新型コロナウイルスなので、軍事からの派生だとか、様々な憶測が飛び交い、真実がはっきりしません。
 不思議なのが、なぜ中国の武漢から発生したのかということでしたが、現代ビジネスの記事を読んで合点がいく点もありましたので、本文転載でシェアさせていただきます。

 我々は全ての事象を謙虚に捉え、人類も所詮は大自然の一部であり、生かされているという自覚を強く持つ必要があるのかもしれません。忘れ防止にしたいと考えています。

そもそもなぜ中国・武漢は「新型コロナの発生地」になったのか?

自然から人類への警告の可能性

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71266
青山 潤三 ネイチャーフォトグラファー

なぜ「中国内陸部」なのか?

新型コロナウイルスの「発生源」について、ついに中国とアメリカの間で舌戦が始まりました。トランプ大統領が「チャイニーズ・ウイルス」と発言したり、アメリカ政府高官が「武漢が発生地であることを忘れるな」などと次々に述べる一方、中国政府の報道官は「米軍が中国へ持ち込んだのだ」と主張し、物議を醸しています。

3月中旬の武漢(Photo by gettyimages)
2002?2003年に感染が拡大したSARSと同様、新型コロナウイルスについても、野生のコウモリが発生源(ウイルスの一次宿主)である、という説があります。その是非はひとまず置いておいて、先日こんな要旨の記事を目にしました。

〈SARS流行の時、ウイルスの宿主とされるキクガシラコウモリを調べるために、中国の専門家集団は雲南省の奥地へ調査に向かった。なぜ、わざわざそんなところに調べに行く必要があるのか。キクガシラコウモリだったら、広州の街中にもいるのに、見当違いの無駄な努力をしている。中国のやることは理解できない〉

でも、この中国の専門家集団が取った行動は正しかったのかもしれない、と筆者は考えています。その根拠を説明すると――。

現在、都市に住んでいるキクガシラコウモリは、おそらく人間の生活領域の拡大に伴って分布を広げた集団です。しかし、キクガシラコウモリという種は、人間社会が営まれるはるか前から存在しています。そしてそれは、現在私たちが身近に接することのできる集団とは、「生物学上の種」としては同一であっても、異なる存在です。つまり、都会に棲息する個体を調べても、彼らのことを深く調べることはできない可能性が高いということです。

では、本来の性質を保持したキクガシラコウモリの集団は、どこにいるのか? それは、中国の奥地です。そこは、地球上でも稀有な生物多様性を持つ地域なのです。

具体的にいえば、武漢を含む長江の流域とその周辺部。長江は中国最大の河川であるだけでなく、世界でも、アフリカのナイル、北米のミシシッピ、南米のアマゾンと並ぶ大河です。地史的な面での複雑さや、生物地理上の多様性においては、他の河川を上回るスケールを持っています。

パンダ、トキ…そこは多様性の宝庫

長江の源流は“地球の屋根”チベット高原に発し、東シナ海の上海付近に向けて流れて往きます。その中間地点に四川盆地があり、その周辺を、多彩な性格をもつ山地帯がぐるりと取り巻いています。盆地の西側から反時計周りに四川省、雲南省、貴州省、湖南省、湖北省、陝西省、甘粛省。分かりやすく言えば、野生のジャイアントパンダの棲息地と、その周辺地域にあたります。

今回の新型コロナウイルスの発生地とされている湖北省(およびその省都・武漢)は、四川盆地を取り囲んだ山々から、長江の流れが東に突き抜ける「出口」に位置しています。

そして筆者は、この地域で新型コロナウイルスが発生したのは、この地域が本来持っている"生物多様性・特殊性"と、何らかの深い因果関係があるのではないか、と推察しているのです。

この長江中流域一帯が、いかに魅力的な「遺伝子の宝庫」であるのか――開発と自然破壊が進みつつあるいま、「宝庫であった」とはまだ言いたくないのですが――湖北省周辺に限って、いくつか列挙してみましょう。

湖北省の西北部には、世界遺産の「神農架(シェンノンジャ)」山岳地帯があります。もちろんマユツバではあるのでしょうが、この一帯は「原人」の目撃例が少なからず報告されているほどの「秘境」です。さらに神農架に隣接する陝西省の秦嶺山脈は、ジャイアント・パンダの野生東北限であるほか、日本の佐渡島に再導入されたトキの、現存する世界唯一の野生地でもあります。

日本と同じ種、または姉妹種(最も血縁関係が近い種)が、2つの地域にだけ分布するという例は、トキのほかにも数多くあります。筆者が長年調査対象としているオナガギフチョウ(日本の本州に固有分布する「春の女神」と呼ばれる「ギフチョウ」の姉妹種)や、ギンバイソウ(野生アジサイの一種で、関東地方西部から九州と、飛んで湖北省の山地に出現する)などが挙げられます。

稲作の発祥の地でもある

武漢の東北部に目を向けると、安徽省に跨る山地帯から、アマミノクロウサギ(あるいはその共通祖先種)の化石が出土しています。

奄美大島と徳之島の2島でのみ確認されているアマミノクロウサギは、近縁な現生種が世界に存在しない(あえて探せば、アメリカ大陸に分布する種が最も近縁とされる)、いわゆる”生きた化石”です。武漢東北部の山地帯は、その国外における唯一の化石出土地なのです。

湖北省西部(武漢の西方)で、広い四川盆地を抜け出した長江は、再び両側に急峻な山が迫る「三峡」という、世界にも類を見ない特殊な地形を通過します(世界最大の「三峡ダム」はここに建設されました)。その三峡から一つ山を挟んだ南の利川市には、かつては化石しか知られていなかったメタセコイアの現存野生株が自生しています。「化石生物」が実際に生きていたというのは、ロマンのある話です。

さらに、そこから少し南の貴州省側に入った「梵浄山」という山では、ごく最近まで、日本固有種で近縁種が世界のどこにも知られていなかった「フジミドリシジミ」という蝶の姉妹種が、筆者の指摘に基づいて中国の研究者により発見されています。

また、武漢の西南方一帯、湖北省南部から湖南省北部付近にかけての地域は、稲作の起源地であるとも目されています。湖南省の仙人洞・呂桶環遺跡では紀元前1万2000年ごろの稲作の形跡が見つかっており、稲作に関する最古の遺物のひとつであると考えられているようです。

そういえば筆者は、今年1月16日、すなわち「新型コロナウイルスの人-人感染」を中国当局が認め、そして日本と韓国で初めて新型コロナウイルス患者が確認されたのと同じ日に、「湖北省の長江流域に棲んでいた世界最大の淡水魚類・ハシナガチョウザメの絶滅認定」の記事を見ました。湖北省の長江中流域に三峡ダムが作られたために、このチョウザメは絶滅に至った、と。

このニュースは、その後すぐに同じ湖北省発の新型コロナウイルスの報道ですっかりかき消されてしまったわけですが、これらの出来事も、実はなんらかの関係がある(もちろん直接的に、ではないでしょうが)ようにも思えます。

なぜウイルスは、いま現れたのか

新型コロナウイルスは、なぜいま出現したのか? その一次宿主がコウモリなどの野生生物だとすれば、それらの存在が、現在の社会とどのように関与しているのか? 根本的な解明のためには、目の前で起きている現象だけを議論するのではなく、そこに至る背景にまで遡るべきではないか、という想いがあります。

SARSと今回の新型コロナウイルスの感染拡大が、一次宿主たる野生のコウモリが媒介となってスタートした可能性は、おそらく相当に高いものと考えられます。とすれば、ただ都市部の現象だけに注目するのではなく、背景にある自然の働きや、多様な生物を育む湖北省の山岳地帯をはじめとした中国奥地の生物多様性にも、注目する必要があるのではないでしょうか。

にもかかわらず、自然と野生生物の複雑さを念頭においた議論が全くなされていないことを、筆者は憂慮しているのです。

不思議なことが、ひとつあります。これだけ世界中を騒がせているにもかかわらず、「新型ウイルス」には、「SARS」とか「MERS」のような、固有の名前がまだついていません。海外で使用されている「COVID-19」は疾患の名前で、ウイルスの名前ではありません。

理由はいろいろ考えられます。ウイルスの「種」としてはSARSと同じコロナウイルスであり、その一タイプに過ぎないので、固有の「種名」は付けられない。あるいはSARSの「姉妹種」とは考えられるが、両者の関係がまだ正確に把握できていない。

早い話、正体がよくわからないまま、未だに「新型コロナウイルス」と呼ばれているわけで、そのことも不安を掻き立てる要因になっているのではないか、とも思われます。

急速すぎる近代化

筆者は、中国と日本を33年間に亘って、生物の調査を目的として行き来してきました。長年中国のさまざまな場所を見てきましたが、近年の中国における急速な超近代化には、戸惑いを覚えています。

その戸惑いの多くの部分は、信じがたいほど劣悪な衛生環境と、外観上の「近代化」が同居していることにあります。それは、なにも地方に限ったことではなく、武漢のような都市部においても同様です(筆者は中国が政治的に嫌いだからこう言うのではなく、実際に長期間を過ごしている実感から述べています)。

メディアは、今回の新型コロナウイルスについては武漢、前回のSARSでは広州、そしてあとは北京や上海などの大都会にのみ目を向けます。しかし筆者は、今回の武漢における惨状と爆発的拡散の最大の要因は、メディアの無責任ともいえる煽りたてによって、診察の必要のない人たちまでが不安に駆られて病院に押し寄せ、パニックに陥ったことによる、と考えています。

実は筆者は、1月末まで中国の広東省に滞在していました。皮肉なことですが、中国政府がギリギリまでウイルスの感染拡大を「隠蔽」していたことは、結果論ではありますが、よい効果もあったのではないか。

というのも、政府による「移動禁止令」は、春節での都市部から農村部への大移動が終わったタイミングでなされました。それが都市部から人を減らし、武漢以外でのパンデミックの封じ込めに寄与したのではないか。もう何日か早く「移動禁止」が発令されていれば、中国の各大都市は武漢同様、ウイルス感染者で溢れかえって、今よりも遥かに悲惨な状況に陥っていたのではないかと、筆者は思うのです。

これは何かの警告ではないか?

地方と都市部、自然環境保持と近代化、それぞれの役割分担。都市も農村も、さらに人の手がほとんど及んでいない原生環境も、広大な中国という国は本当に多様な環境から成り立っています(それは規模の差こそあれ、日本に、あるいは他の世界各国でも同様ですが)。そのことを忘れて、たとえば都市部における衛生管理などの問題にだけ目を向けていると、ことの本質を見誤るでしょう。

欧米をはじめ世界の広範囲で感染が急速に拡大しているいまは、目の前の対策に追われるのは当然でしょう。しかしこれから、国どうしのヘイトの応酬や、「生物兵器説」の流布、米中による発祥の責任のなすりつけあいが激化するのだとしたら、これほど有害無益なことはありません。

多様な生物の「遺伝子のプール」たる中国の国土を再び見つめなおすこと、はるかな過去から引き継がれてきた自然との共存に舵を切ること、それこそが必要なのだと思います。

「新型コロナウイルス」は、ひたすら効率だけを求める「超近代化」に対する、自然界から人類への警告であると、筆者は感じています。

 この警告をよく噛みしめて、謙虚に大自然の一部として生きていくしかないのかも知れません。