清水敏男先輩のいわき市長選出馬への説明や決意

2020年3月4日

 磐城高校の野球部の先輩である、34回卒業の清水敏男先輩がいわき市長選に出馬表明をされ、必死の活動をされているところです。

 そんな中、どうしても直接の応援に行きたくて、去る平成25年8月20日(火)の夕刻、清水先輩の会合に足を運ばせていただきました。

 今回のいわき市長選は、今後のいわき市の命運を握る大きな選挙であることは誰もが同じ認識を持ってらっしゃることでしょう。

 かかる状況において、清水敏男さんは、福島県議・自民党総務会長という立場を捨て、地元いわき市の本当の復興のために立ち上がりました。

 命を懸けて行動したいという清水さんの心意気がビンビンと伝わってまいり、胸を熱くしました。

 清水さんが熱弁を振るう中、どうにか動画で収めて、みんなに見て欲しいと願い、撮影をしてきたものです。

 三脚が無い中での撮影でしたので、腕がブルブル震えてしまっての撮影になり、画像がブレてしまっておりますが、ぜひとも同志のみなさんにご覧いただきたいと存じます。

 動画は以下でご覧ください。

スクールウォーズを見て泣かざるは人にあらず、
清水さんの決意を聞いて泣かざるは同志にあらずです。

いわき市長出馬に向けた経緯と政策説明

いわき市長出馬に向けた命がけの決意表明

当日のお話の概略

(以下当日の話のキーワード)

 東日本大震災時に30万人都市いわき市のリーダーのあり方に疑問を持った、その窮状を全国に伝えられたのだろうかという疑念が残った。
 食べ物もガソリンにも困っている状況で、物資は足りていますという誤ったメッセージが発信されてしまった。

 トップが現場に立って、陣頭指揮を取らなくてはいけないが果たしてどうか。
 70%復興が進んでいると言っているが本当にそうなのか。
 浜の現状を見た時にとても復旧が進んでいるとは思えない。

 国家公務員と地方公務員の格差是正のため地方公務員の給与を下げるように国から指示がきた。ここは給与を下げて耐えてもらう必要がある。福島県ではそうした痛みに耐えてもらった経緯がある。岩手も宮城も下げた。それなのにいわき市は下げない。民間が耐えているのに、いわき市はなぜそうなったのだろう。

 いまやらないでいつやるの、今でしょ。という、もう一人の自分の叫びが聞こえてきた。

 奥さん、家族とも相談した、やりたいならやってちょうだい、後押ししてくれた。
 すべてを捨てて、収入を捨てて、決めた以上は自分を追い込まないと、本気さを打ち出さないと、命を掛ける姿勢が伝わらない

 やりたいことは多々ある。
 JR常磐線にミニ新幹線を通して、東京⇔つくば⇔水戸⇔日立⇔いわきと通したい。
 いわきをもう一つの学園都市にしたい。

 いわきの課題3つを克服しなくてはいけない。
 キーワードは医食住である。

  1. 医療・・医師が足りていない、行政の責任で医療体制を充実させるべき
  2. 食・・・復興の影響で経済は回っているが、今後3年~5年後を見据えた産業政策を実現しないと死に体になっていくことは過去の歴史が証明している。風力発電、蓄電バッテリー産業を誘致したい、いわき発・いわき製作バッテリーを実現したい。
    廃炉をいわき市から進め、廃炉のための技術やロボットを実現させ、廃炉先進の都市作りをしたい。それでこそ、世界のいわき市へ飛躍できる。
  3. 住・・・いわき市と避難された方の軋轢があるかもしれないが、それを乗り越え、手を携え前に進んでいきたい。浜通りの兄貴分として大人の振る舞いをしていきたい。

 天皇陛下がいらっしゃらないのは、現首長に問題があるからと思っている。
 天皇陛下に来ていただいて、「いわき市の方も双葉郡の方も、いろいろあろうかと思いますが、しっかりと乗り越えて頑張ってくださいね」と言って欲しい。

 あとは、いわき市独自の出産お祝い金をプレゼントしたい。

 25年政治の世界で飯を食ったのでプロフェッショナルだと思っている。誰に動いてもらえば良いか分かっているつもりだ。
 誰かが先鞭を付けて責任を持って動かなければダメなんだ。
 いわきで生まれ、いわきで育ち、いわきで働いて良かったと思える町にしたい。

行動しての応援を願います

 暑い夏、夏と言えば甲子園。

 清水さんは、いわき市長への階段という、甲子園の道のりを走っております。

 選挙は様々なしがらみがあるのは当然です。
 しかしながら、その生き方や考え方に共鳴できる方は、ぜひとも身体を張った応援をしてあげて欲しいと切に願います。

 告示から選挙本番まで、時間は切迫しています。
 いわき市がどう進むべきなのか、リーダーはどうあるべきなのか、各自が真剣に悩み考えて、心ある方は行動をお願いします。

 アクションです。