鈴木直道氏が北海道で「30代知事」になった理由に納得

鈴木直道氏が北海道で「30代知事」になった理由に納得

 現在、北海道知事の鈴木直道知事はやりますね。あの若さで本当にたいしたものだと思います。尊敬に値します。

 鈴木北海道知事の同行から目が離せないわけですが、文春オンラインで特集されていましたので、やはり忘れ防止にそのままを以下に転載させていただきます。

高卒都庁職員だった鈴木直道が、北海道で“30代知事”になった理由【新型コロナで緊急事態宣言】

文藝春秋特選記事 https://bunshun.jp/articles/-/36415
文春オンライン 2020/3/4(水) 6:00配信

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、北海道の鈴木直道知事は2月28日、「緊急事態宣言」を発表した。鈴木氏はその2日前にも、国に先駆けて道内の小中学校の休校を要請。会見において「結果責任は知事が負います」と発言したことにも注目が集まった。

 全国で唯一の“30代知事”でもある鈴木氏は、一体キャリアを歩んできた人物なのか。ノンフィクション作家・広野真嗣氏が気鋭の政治家に迫った「文藝春秋」1月号の特選記事を公開します。(初公開:2019年12月30日)

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 7年前の12月、石原慎太郎の後任の東京都知事を選ぶ選挙の最終日、群衆で埋め尽くされた新宿・アルタ前広場に停められた選挙カーの屋根の上で、猪瀬直樹候補の応援弁士に立ったその男は、半ば絶叫するような声になった。

「皆さんから税金をいただいて飯食ってるんですから、私たち公務員が都民のために働くのは当然ですよ。でも東京都の職員はそれだけじゃだめなんだ」

全国最低賃金の首長として夕張市へ

 声の主は、北海道・夕張市長になって2年目を迎えていた鈴木直道(当時31)だ。全国どの市町村の首長よりも給料の低い、さらに言えば前職の都職員より年収で200万円も少なくなるのを承知で、夕張市長の職に身を投じた。その実績が評価され今春、北海道知事に選ばれた人物である。

 アルタ前の演説はこう続いていた。

「首都のために100パーセント働くだけではなくて、首都を支えている多くの全国の地域のために、皆さんの故郷のためにもう20パーセント、合計120パーセント働いて、やっと都民のみなさんから合格がいただけるんだ、それが首都公務員なんだ。前例がなくても、ほかのところが一切やっていなくても東京都というのはこれをひっぱって、国を動かして、日本を牽引する」

 演説の内容というよりも、挑発的なその弁舌が私の印象に残った。都庁職員時代、副知事の猪瀬から「役人的なしゃべり方では伝わらないぞ」と叱られていた都庁職員の頃の鈴木とは、全く別人のように見えたのだ。

破綻した自治体から叩き上げる

 鈴木は埼玉県生まれ。両親が離婚したため母子家庭で育てられた鈴木は、高校卒業後の1999年に東京都庁に入庁。地方公務員を選んだのは、恵まれない人々にとって行政サービスがいかに重要かを肌身で知っていたからだ。

 社会人になってから夜間に大学にも通ったが、大きな転機になったのは08年1月、猪瀬の発案で財政破綻した夕張市に派遣する応援職員の1人に選ばれたことだった。約2年間の派遣期間中の鈴木の行動力に心服した地元の若手経済人たちから推され出馬した11年4月の夕張市長選を制し、市長になった。

 給与7割カット、手取り20万円を切る待遇を覚悟で市民に飛び込んだだけではない。当時の問題意識は「政治力も弱い小さな町に過大な問題が置かれている」ということだった。

 当時の財政再生計画は「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」に設定され、東京23区よりも広い面積に点在していた7つの小学校、4つの中学校はそれぞれ1つに統廃合され、住民税負担は増えた。これも“自己責任の結果”と見られていた。

 借金返済が優先だから、保育園が雨漏りしても、雪かきができずに市民プールの屋根が崩壊しても、市の一存では修復工事1つ決められなかった。

 鈴木は国への働きかけを強め、2期目の折り返しの年だった17年3月、とうとうこの再生計画の抜本見直しを総務省が認めた。企業版ふるさと納税を活用しつつ、コンパクトシティ化に向け、認定子ども園の整備など未来志向の投資を可能にし、国の財源も引き出した。

 最後は市民から「市長の給料をあげろ」という声も出たが、鈴木は8年の任期切れまで上げなかった。

 38歳になった2019年4月、若さと市政の実績を買われるかたちで当選した北海道知事は、夕張市に比して予算規模でじつに約250倍にもなる道庁を率いる。8月からは知事の給料・ボーナス・退職金の3割カットも始めた。

「小泉進次郎を超える政治家になるよ、彼は」

 アルタ前の演説に戻りたい。

 その日本を牽引する都知事が強い基盤を築けるよう、「絶大なる支持」を投票行動で示してほしい、と締め括っていた。〈ゼツダイナルシジ〉という言葉にアクセントをつけたところで聴衆を見渡した鈴木の姿は、1人ひとりに具体的な行動をするよう、要求を突きつけるように私は見受けた。

 私の横で、国会議員時代から石原慎太郎に仕える特別秘書の高井英樹も聞いていた。石原秘書軍団の中でも“一匹狼”で知られるが、直感的な洞察力は石原から重宝されてきたといわれる。そんな高井がつぶやいた。
 「小泉進次郎を超える政治家になるよ、彼は」

 地元ネタとユーモアを交えた応援演説が売りの進次郎は元内閣総理大臣の地盤を受け継ぎ「次の総理」の上位に必ず名が挙がる。対する鈴木は、貧困家庭に暮らした経験から都職員の道を選び政治の才を見出された。

 奇しくも2人とも昭和56年生まれだ。鈴木が知事になった今年、私には高井の「予言」が何度も思い起こされた。

ジリ貧の北海道をどう建て直すか?

 知事になった鈴木は北海道で何をするのか。

 札幌市はマラソン・競歩の急転直下の移転によって2020年五輪の成否を握ることになった。その札幌は30年冬季五輪招致に名乗りを挙げており、今回のマラソンの成功はホストシティとしての能力の証明に直結する。一方、11月29日は道議会定例会でIR(カジノ)誘致については断念すると表明した。

 いちいち注目されるのは、ジリ貧が見えかくれする北海道経済の希望を道民もメディアも探しているからだ。合計特殊出生率は東京都に次ぐワースト2位の1・27。人口はすでにピークの97年から6パーセントも減っている。

 鈴木は、新しい北海道の未来予想図を描けるのか。人口は8000人とピーク時のじつに15分の1を切るまでに減った夕張市で、鈴木は何をしていたか、東京にいると見えないその仕事ぶりを知りたくなり、私は北海道に取材を重ねることにした。人口減少で経済の成長余地が減る政治は、もう利益を分け合うことはできず、不利益を押し付け合う構図が頻出する。夕張はそのモデルケースになるとも思えたのだ。

 詳しくは「文藝春秋」1月号および「文藝春秋digital」に「 令和の開拓者たち 鈴木直道 」と題して寄稿したが、取材を通じて「巻き込まれやすい性格」だった鈴木が、次第に「巻き込んで行く技術」を確立していった姿が浮かび上がってきた。

 課題先進地の現状は、日本全体にとっても他人事ではない。政府は近く正式に公表する2019年の出生数が90万人を下回ることを明らかにしたが、これは17年に発表した将来推計よりも2年も早く、少子化は一段と深刻化している。

 令和の政治にどのような足跡を刻むのか、新時代の保守政治家の誕生になるのか、鈴木の今後に目が離せない。(文中敬称略)