【六角堂】新天地を求めた天心が明治38年北茨城市五浦に建立

北茨城市にある六角堂は、東日本大震災により流失しましたが、
創建当時の姿に再建し、平成24年4月28日から一般公開が再開されました。
再開後に伺っていなかったので、今回伺ってみました。

北茨城市にある六角堂 六角形の建築物は六角堂 岡倉天心が設計

六角堂(ろっかくどう)は明治38年に岡倉天心が自ら設計したもので、
「観瀾亭」ともいわれ、杜甫の草堂、仏堂、茶室を兼ね備え、
朱塗りの外壁と屋根に宝珠を装った六角形の建物です。

五浦海岸の茨城大学五浦美術文化研究所内にあり、
岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦の一部として国の登録記念物に登録されています。

ウォーナー像 天心遺跡内の花 六角堂の小道

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う津波の直撃を受け、
土台のみを残して姿を消しましたが、2012年4月17日に完成式が行われ、無事再建されました。

津波被害

受付の方にお話しを伺うと多くの方がイメージする写真を撮るのは無理なようで、現在は柵があり海岸に降りられませんでした。

五浦海岸ジオサイト IMG_0838-1

反対側から撮った六角堂です。
緑の松林を背後に、前には太平洋の白波が砕け散るその雄大に少し時間を忘れ、眺めていました。朱色の建物と青い海、白い波の色合いがとてもよくマッチングしていました。

夜6時30分からはライトアップもされるようです。

海岸から見た六角堂

新天地を求めた天心

天心が五浦に出会ったのは明治36(1903)年だそうです。
40歳を過ぎた頃の岡倉天心は五浦海岸の景観をとても気に入り、ここに住居を構え思索の場所として六角堂を造り、創作活動に励みました。
横山大観ら五浦の作家達を指導し新しい日本画の創造をめざしました。

岡倉天心について

tenshin

岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め、美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。
その活動には、日本画改革運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など、目を見張るものがあります。
また、天心は自筆の英文著作『The Book of Tea(茶の本)』などを通して、東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介するなど、
国際的な視野に立って活動しました。

参照:茨城県天心記念五浦美術館
http://rokkakudo.izura.ibaraki.ac.jp/