歴代水戸藩主が好んだ藍味を帯びた独特の黒色を出す「水戸黒」
水戸市では、歴代藩主が好んだ藍染め「水戸黒」の再興を目指しています
水戸黒の歴史
藍染めの一種で、ヤシャブシの実を染料に使用し、藍味を帯びた独特の黒色が特徴です。別名「水戸染め」と呼ばれています。
水戸藩には寛文年間(1661年~1673年)から水戸黒と称する黒染めが行われてきました。水戸黄門さま(水戸藩二代藩主徳川光圀公)も愛用したといわれ、藩御用の紺屋であった水戸金町の亀屋清兵衛が代々これを務めました。亀屋は藩主や家臣たちの着用する黒紋付き羽織など黒染めを得意としていました。
水戸藩主や家臣が着る黒紋付き羽織の黒染めとして発達したが、大正に入り、輸入された化学染料の普及に押され、消滅していきました。
昭和50年頃、亀屋の子孫で市内在住の益子家12代目の益子永寿さん(故人)が再現に取り組み、その後、益子さんから口伝で学んだ笠間市在住の染色家、阿部忠吉さん(故人)が継承しましたがお亡くなりになり、現在は,水戸市において水戸黒の継承方法等を検討しています。
ヤシャブシの実
ヤシャブシの実は水戸黒染に使われる素材で、ヤシャブシの実を煮出して出した液で染め上げていきます。
明治後半まで残っていた既婚の夫人が歯を黒く染めるお歯黒や鉄漿(かね)つけという風習の際に県北山地に多いヤシャブシ(カバノキ科の木)の果実を使うこともありました。
県内ではこの木をオハグロノキと呼ぶところが多かったようです。
水戸黒の染め方
染め方はまず藍で下染めをします。紺色に染まった布地を伸子張りし、その上にヤシャブシを煮出してつくった染液を刷毛で引き染めをします。
それをいったん乾かしてから鉄漿に浸すと濃いネズミ色に染まります。
ヤシャブシ染液の引き染めと、鉄漿の浸し染めの工程を何回も繰り返し黒く染めるという手の込んだ技法です。
水戸黒の特徴
江戸時代の黒染めとして著名なビンロウジ黒がやや赤みがかった黒であるのに比べ、水戸黒は藍を下地にしており、青みをもったつやのある黒で、その色合いは「水戸公の羽織は千代田城の金屏風によく映える」と称され、羽織での江戸城参内を許された副将軍が代々自慢にしていたといわれています。
編集者の後記
一度は消滅してしまった「水戸黒」ですが、水戸市では現在それを復活させようと継承方法を検討しているところです。
一度無くなってしまったものをもう一度復活させることは容易なことではないと思います。
継承するためには様々な問題があり、どのようにして商品化し、販売できるようになるためにはどうすればよいかなど、今後ますますの研究や検討が必要であると思われます。
それでも、復活に向けての情熱を絶やさず伝統技術の継承に励むことに賛同します。
埋もれてしまった水戸黒という水戸の文化を復活させ、「水戸の宝」を受け継いでいきたいものです。
参考文献
朝日新聞水戸支局 「茨城の科学史」 常陸書房 1978年
茨城大学教育学部紀要(自然科学)53号 2004年
茨城新聞 朝刊 一面 1項 2004年9月2日
ディスカッション
コメント一覧
やっばり、「水戸黒」なのでしょうね?歴史の規則性に則っているようです。
常陸太田市瑞龍町の水戸徳川家の墓で、各当主の墓石の下には亀がいます。
なぜ亀がいるかですが、四神で、北(≒亀蛇)方の神は玄武で「黒色」です。水戸徳川家の墓石から想像すると当主は亀に乗った「蛇」でしょう。
八幡宮は源氏の氏神。常陸太田市馬場町の馬場八幡宮の拝殿の入り口の上の軒下には、蛇の顔を持った亀の彫刻があります。そして、本殿の東脇に、亀の子山古墳があります。
偶然ではできないでしょう? 熊本県八代市には九州の三大祭りのひとつの妙見祭では、「亀蛇」なる物が街を練り歩くようです。